高嶋仁監督が引退して後任は誰?甲子園での勝利数や名言も!

どうも管理人のたいがだ。

 

今回紹介する記事の内容は、名将が引退するということでそのことについて記事を書いていこうと思っている。

 

甲子園常連校に育てた智弁和歌山の監督である、高嶋仁監督が2018年に引退することが分かった。

 

和歌山県代表の智弁和歌山高校は春と夏の通算勝利数は、歴代最高勝利数となっている。

 

では、高嶋仁監督が引退した後は誰が後任になるのか紹介していこうと思う!

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高嶋仁監督が引退して後任は誰?

 

 

智弁和歌山高校を甲子園常連校に育てた名将の後任は、既に決まっており同校OBであり現在智弁和歌山高校野球部の第二位にいるコーチである中谷仁氏が監督に上がることになる。

 

監督の指導をずっと後ろで見て来ただろうから、大きな指導力不足になる心配は無いと思う。

 

監督は辞任 することになってしまったが、完全に任せることはないと思うので安心はしている。

 

詳しい引退の理由は明かされてはいないが、恐らく年齢が72歳と高齢になるので体力的に厳しいのではないかと思う。

 

夏の甲子園が先日終了して、大阪府代表の大阪桐蔭高校が優勝して春と夏の甲子園を連破する快挙を達成した。

 

智弁和歌山高校としても、大阪桐蔭高校との対戦もしたいと思っていたが1回戦で滋賀県代表の近江高校に勝利することが出来ず1回戦で甲子園を去ることになった。

 

甲子園に出場することも相当大変ではあるが、また甲子園に出たからには勝ち続けないと一瞬で甲子園を去ることになってしまうからな。

 

どんなに甲子園常連校であっても、1回戦で敗退してしまうのが甲子園の怖い所である。

 

智弁和歌山高校の野球部メンバーも2018年が高嶋仁監督が指導する最後の夏と分かっていたとは思うが、勝利を収めることが出来なかった。

 

非常に悔しい思いをしたとは思うが終わってしまったものは仕方ない。

 

秋季大会で夏の甲子園の悔しさをぶつけるしかないだろう。

 

では、高嶋仁監督と後任の中谷仁氏は一体どんな人物なのか紹介していこうと思う。

 

高嶋仁監督とはどんな人物?

 

戦後まもない1946年5月30日に長崎県に生まれる。

時は進み高校時代は、長崎海星高校に進学して投手兼外野手として1963年と1964年に夏の甲子園に出場している。

 

1963年は、今では考えられないが甲子園球場と阪急西宮球場が同時に使用されていた。(3回戦まで)

 

しかも、まだ当時は沖縄はアメリカの施政下にあったため沖縄代表はパスポートが無いと行けなかった時代になる。

 

1回戦の相手が、埼玉県代表の大宮高校であったが7-1で敗退してしまう。

 

翌年の1964年も1回戦で敗退しているので選手としては夏の甲子園では最高成績が1回戦となる。

 

夏の甲子園が終わった際に、指導者として再び甲子園に立ちたいと思うようになり日本体育大学体育学部体育学科に入学したんだ。

 

大学時代も日本体育大学の野球部に所属しており、大学2年の時に大学野球で優勝を果たしている。

 

大学卒業後は、奈良県にある智弁学園高校のコーチとなる。

 

 

1972年には同校の監督に就任しており、1977年には夏の甲子園でベスト4入りをするなど結果を残している。

 

1980年から智弁和歌山高校に野球部監督として転任している。

 

監督した直後は、甲子園に出場するも初戦敗退ばかりを喫していた。

 

どうやったら勝てるのかを毎日考え抜いて、少数精鋭の野球部を作ることを決意する。

 

1学年10人しかいない野球部を創立したことにより快進撃が始まることになる。

 

1994年の夏の甲子園で優勝。1997年と2000年の春の甲子園で優勝を経験している。

 

選抜で1回戦も勝てなかったチームが少数精鋭になったことにより、急激に強くなり春と夏の甲子園で優勝までしているんだ。

 

2018年では、春夏通算37度目の甲子園出場を果たしている。

 

この記録は、歴代最高の成績となっており長い甲子園の歴史に名を刻んだことになった。

 

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では、続いて中谷仁さんとは一体どんな人物なのか紹介していこうと思う。

 

中谷仁さんとはどんな人物?

 

1979年5月5日に和歌山県和歌山市に生まれる。

 

小学校低学年の頃に地元の少年野球チーム「有功少年野球クラブ」に連れていかれたことから野球を始めたんだ。

 

和歌山市立有功中学校に進学すると、野村克也監督や古田敦也選手の影響を受けてキャッチャーになることを決意する。

 

高校は、智弁和歌山高校に進学して正捕手として甲子園に通算3回出場しているんだ。

 

しかも、1996年の春の甲子園で準優勝に輝いている。

 

1997年の夏の甲子園ではキャプテンとしてチームを引っ張り、見事優勝を経験している。

 

その時に智弁和歌山高校の監督をしていたのも高嶋仁さんになる。

 

1997年に開催されたドラフト会議では、阪神タイガースから1位指名を受けてプロ野球選手の仲間入りをしている。

 

1998年から2005年まで阪神タイガースに在籍することに。

 

将来は、阪神タイガースの正捕手になるのではないかと言われていたが何者かが投げた携帯電話が目に当たってしまい視力がかなり低下してしまう事件が発生する。

 

最悪の場合、失明になってしまうまでの危機的状況になったが奇跡的に視力が回復していき実践には問題ない状態までとなった。

 

その後、努力を続けるも試合に出場する機会が少なくなってしまい2005年に東北楽天ゴールデンイーグルスとトレードされてしまう。

 

 

楽天に移籍した後もずっと2軍にいることが多くなり、2011年に自由契約となってしまった。

 

同年に開催された12球団合同トライアルでは、読売ジャイアンツからキャッチャーとして高く評価されており、読売ジャイアンツへ入団することが出来た。

 

しかし、1軍には阿部慎之助選手がいるので中々1軍での試合は出場することが出来ず、プロ野球選手の引退を決意する。

 

そして、2017年に母校である智弁和歌山高校に就任することになり野球部のコーチとして後輩を指導する立場になったんだ。

 

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甲子園での勝利数や名言も!

では、甲子園での勝利数を紹介していくぜ!

 

甲子園での通算勝利数は、68勝34敗で優勝3回であり勝率は.667に上る。

 

驚異的な数字を残していることが分かる。この人について行けば甲子園も夢ではないと思わせてくれそうだよな。

 

しかし。2018年の夏に引退してしまうのでこれからの智弁和歌山高校がどの様な成長を遂げるのかとても楽しみにしている。

 

では、最後に高嶋仁監督が残した名言について紹介だ!

 

  • 高校野球は教育の一環ではない。勝負の厳しさを味わう場所だ。
  • 苦しい思いをした人間だけが逆境をチャンスに変えるのだ。

 

やはり野球の厳しさと感動をよく知っている人だけにあって言葉の重みがあるよな。

 

ここまで来るのに相当苦労したと思う。

 

これからは自分の体を大切にして過ごして欲しい!

 

【まとめ】

  • 高嶋仁監督が引退して後任は、中谷仁さんが後任になる。
  • 甲子園での通算勝利数は、68勝34敗で優勝3回と言う輝かしい記録を残している。

 

 

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